凡庸なるがままに。


by michelle_s
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アタック25完結編(3)

 収録はよどみなく進行し、いよいよ本番に入ってしまった。ディレクターさんのカウントが終わり、児玉さんが(背が高いので)カメラを覗き込むようにして、いつもの
「パネルクイズアタック25、司会の児玉清です」
という口上を述べ始める。あの「アタック!にじゅうごぉ〜♪」という音楽はスタジオではかからない。まず顔が隠してある芸能人が誰か当てる、オープニングクイズから開始。これはいつもアイドルが問題となることが多いので、正直言って私はわからないや、と思い捨てていた。それが「1952年ニュージャージー州生まれ」という問題が出てきて、外人かい!と慌てた。たぶん、他の人たちもそういう気持ちだったのだろう。後で考えればあのケツあごですぐわかりそうなものだが、私は「最新の映画:ビー・クール」というヒントで初めて自分の脳内を猛烈に検索し始めた。あの生え際…うーん…あっ!あーーーっ!ボタンだ、ボタンを押せー!
「ジョン・トラボルタ!」「結構!」
この時の声は自分でもわかるくらいに上ずっていたと思う。オープニングクイズが答えられるとは幸先がいい、とちらっと考えたが、最終的にここが最大の見せ場となってしまったのだった。

 以下、じつは今日の放送を見ていない(実は怖くて見られない)ので経過を一つ一つは書かずに、結果とそれに関する自分の感想を書いて行きたい。
 今回、私の正解数は6問、誤答数が2問。獲得パネルがなんと0枚。優勝の白の枠の方とは、実は正解数が1問しか違わなかったのである。最多の11問を答えた緑の枠の方は答えもよくご存知だったのだが、とにかく早押しの反応が非常に早く、4回は押し負けてしまった。たぶん純粋な早押し対決だったら緑の方の圧勝だっただろうが、この方は獲得パネルが4枚。これが「パネルクイズ」たる「アタック25」の難しいところなのである。
 しかし、私は6問答えることができたと言っても、誤答と押し負けのタイミングが凄まじく悪かった。言うまでもなく、分かれ目は「クリスチャン・ディオール」を「ココ・シャネル」と言ってしまった誤答である。この誤答のペナルティの間、それまでに取った3枚のパネルが消されまた1からやり直しだったからだ。
 また、アタックチャンスが収録では続けて2問全員スルーだったのだが、これは答えを聞いてからしまったと思った。先週なんとなく見ていた「日経エンタティメント」に載っていた本ではないか。あの1問さえ答えられていたら、パネル0枚という不名誉な事態は避けられたかもしれない。が、それも含めて全て私の実力である。
 結局、最後は気魄で勝る白と緑の方にほとんど押し負けてしまい、パネルの回復はならなかった。緊張というよりも、収録が一回勝負で時間を巻き戻すことができない、ということの方に呑まれていたのかもしれない。それを緊張と言うのかもしれないが。終わった時は、悔しいというよりも現実感のなさに茫然としていた。
 
 収録が終わった後には、大阪まで7人も友達が応援に来てくれて、またネットを通じた知り合いの人たちも応援してくれたのに、こんなふがいない結果で終わってしまって申し訳ないという気持ちが心の底からこみ上げてきた。優勝できなくともパネルが何枚か取れているならまだしも、結局は0枚である。
「ごめんね」
と観客席の皆に言ったが、
「おつかれさま!」
と言ってくれたのがまたありがたくも申し訳なかった。
 スタジオから出る前に、児玉さん、沢木さんと記念撮影を今度は応援団と一緒にもう一度させていただいた。その時、児玉さんに
「一枚も残りませんでした…」
と言ったら、
「いやあ、こういうのはね、あなたのようなインテリジェンスのある方は取れないんですよ」
と言ってくださった。収録中の25枚のパネルが終わった時点でも、0枚なのにも関わらず
「青の方にも何回かチャンスがありましたが、これはパネルの巡り合わせが悪かった」
とフォローしてくださったし、何人もそうやってしょんぼりした解答者を見てきたのであろう児玉さんのお心遣いが沁みた。
 最後に児玉さんにサインをお願いすると快く応じてくださった。プロデューサーの方から1枚だけにして下さい、と言われ、色紙とサインペンをスタジオに預けて児玉さんにお礼を言い、控え室へと戻った。

 控え室ではその場で賞金と記念品が渡される。もちろん私には賞金はない、がテレビでおなじみの革の財布のセットをいただいた。画面に映るのは実はあれは男性向けのもので、私がいただいたものは赤い革のセットだった。
 そうして領収書に名前を書いていると、スタジオから色紙が返ってきた。沢木さんもサインして下さっている。(写真提供:M.Y氏)
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 自分のパネルがどんどん消えて行く時、最後答えようとしたのにボタンを押し負けて答えられずに終わってしまった時に心底「時間が戻せたら」と思った。甲子園で負けた高校球児ってこんな気持ちなのかもしれない、とも思ったけれども、毎日を練習に費やして、もっとたくさんの人々の期待を背負っている人たちの気持ちはもっと強いもので、私には想像もつかないものなんだろう。私みたいなお気楽な態度で臨んで、上手く行かずにがっかりしている人間が「気持ちがわかる」などと言ったら失礼にあたる。でも、このサインは私にとっての甲子園の土みたいなものになった。

 実際に出場してみて、「アタック25」制作チームの30年続いているからこその手際や、番組に対する自信や思いを直に感じることができたのが一番印象に残っている。そして、児玉さんと沢木さんはとてもいい人だった。
 今回は軽い気持ちで応募したけれども、出場資格が復活する5年後に四十代大会にもう一度出てみたい、と思う。

 出場させて下さった朝日放送の皆さん、応援してくれた皆さん、そして児玉さん、沢木さん、本当にお世話になりました。ありがとうございました。
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by michelle_s | 2005-08-28 22:41 | アタック25